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エミカサゴのごめんあそばせ
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プロになっての決意

MCタツ 並木プロはプロになるべくしてプロになられて、女子プロボウラー1期生として、ボウリング界の第一人者として長岐に渡ってご活躍されているわけですが、その過程は全く順調だったんでしょうか。
エミカサゴ いやいや、けして恵まれてレールの上を走ってきた訳ではなかったですよ。
MCタツ プロボウリング界に彗星のごとく登場して、その先にご苦労が?
エミカサゴ まず、プロになっても展望・展開はすぐには見えてこなかったしね。
MCタツ そういえば女子プロボウラー1期生の誕生時はまだボウリングブームの前だったんですよね?
エミカサゴ そう、プロになる前、セマナさんの計らいで目黒パークレーンでアルバイトさせてもらっていて、プロテストを受けることになって、晴れて合格したはいいけれど、何しろ女子プロと言っても初めて生まれたわけで、それこそ海のものか山のものか誰にも判らないし、「並木」の名前がアマチュア時代に全くの無名だったこともあり、残念ながらそのまま目黒パークレーンと契約には至らなかったんですね。
MCタツ まだ女子プロボウラーの価値が評価されなかったんですね。
エミカサゴ そう、いきなり給料もないどころか、練習場所が無くなったのよ。
MCタツ それはいきなり厳しい現実ですよねぇ…。
エミカサゴ 当時、目黒パークレーンのコーチングスタッフの遠藤さんという、男子プロボウラー1期生のチャーターメンバーになるのを蹴ったという人に「プロになってどうするの?」って言われたのよね。
MCタツ どうって、どう活動して行くかってことですか?
エミカサゴ 当時20歳、頭の中に漠然と描いていたきれいなものはあったけれど、知識や経験が無かったので、判断力や決断力があったわけでは無かったし、業界のことも解らず、そんな時にそんなこと言われても、「何でそんな事言われなきゃなんないの?」と思ったわね。
MCタツ ボウリングに限らず、好きで好きでの一途な若い時には色々見えないこともあるし、無理も無いですよね…。
エミカサゴ 結局、仕事探さなきゃいけなくなって、他の女子プロたちが契約先を見つける中、いくつかの会社にご挨拶に行ったりしましたよ。
MCタツ 並木プロにも就職活動のようなことをなさった時期があったんですね。
エミカサゴ で、埼玉の入間ボウルで練習していた時に、そこの紹介で東京の株式会社日本プロボウリングという、ボールやグッズを扱っていて何人か男子プロボウラーを抱えている会社に入ったんです。
MCタツ ここから前回のお話の、男子プロに混じっての鬼のトレーニングが始まっちゃうわけですね?
エミカサゴ 初の女子プロ採用だったから、女子はひとりだったからね。
MCタツ しかしその不安定な時期を経て、厳しいトレーニングに向かった当時、弱冠20歳の女性としてどういう心持ちで過ごしていらしたんでしょう?
エミカサゴ とにかく自分に期待を掛けてくれた人達の気持ちに報いよう、応えようという気持ちが強かったですね。あとは自分の想いと頑張りを信じて。
MCタツ 20歳で目標を見失わずにしっかり自分の想いと頑張りを信じたって、やっぱりすごいですよねぇ。だって信じるに足る頑張りをしたってことですもんねぇ。
エミカサゴ 目標に向けてやるべきことをやることが最短で実現に繋がると信じてね。
MCタツ そしてまもなく空前のボウリングブームがやって来ちゃう?
エミカサゴ はい、ものすごいブームが。
MCタツ 想いは変わりました?
エミカサゴ 変わったと言うより、育ったと言うのかな、巡って来たチャンスを生かして"並木"という存在を認めてもらえるようになろうと心に決めたのよね。
MCタツ その強い想いがプロになって10ヶ月後である70年4月の初優勝に繋がるんですね。
エミカサゴ まぁそこまでにも色んな紆余曲折はあるんだけどね。
MCタツ まだまだ色々伺えそうですねぇ。この先も楽しみです。
エミカサゴ はーい、じゃぁまた続く。
MCタツ とりあえずラーメン食べに行きましょう!(^^)
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